「スーツをきちんと着ることは、ビジネスの重要なスキルです」
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「今日はあまり堅いスーツじゃなくてもいいですよね」と事前にご連絡をいただいていたのだが、なるほど今日の装いはジャージー素材のセットアップながら、ダブルブレストのジャケットに、センタークリース入りのパンツがきっちりとした印象にも見える。
――展示会などでお見かけする機会も多いのですが、ここ数年の森岡さんの印象はこのようなセットアップのスタイリングが多いように思います。
「確かに多いかもしれないですね。打ち合わせのときにはおよそいつもこんな感じかも。着ている本人はとても楽な上に、相手に不快感も与えないでしょうし。もちろん政治家の方や経済界の方とのミーティングの際には、先方の服装に合わせて、より堅いスーツを着ていきますが」
――はい、ぜひそんなお話も聞かせください。では、最初の質問から。
Q1.記憶に残る最初のスーツはなんですか?
「スーツそのものというより、ネクタイを締める母親の姿」
「会社経営をしていた父親は毎日スーツを着て出掛けていく人だったんですが、ネクタイだけは母親が結んでいましたね。結び終わってノットの部分をキュッと締め上げる母親の姿そのものがスーツの最初の記憶です。で、父親は帰ってくるとステテコに腹巻きをして、着物に着替えていましたよ。そんな時代でした。おそらくどこの家庭も同じような光景だったはずです。スーツは働く人の服、というイメージは高度成長期とともに作られたんじゃないですかね」
Q2.ご自身で購入された最初のスーツは?
「スーツを買いに行ったのに、なんとブレザーを買っちゃいました」
「もともと野球しかやってこなくて、プロへの道を断念した大学2年生くらいからは鍼灸師になろうと思っていましたから、社会人になってスーツを着るというイメージはありませんでしたね。だから人の縁あって当時の婦人画報社の面接用にスーツを買いに行ったのがスーツのことを考えた最初なんです。ところが、買ったのはブレザーでした。自分なりに考えて、ブレザーの方が着回しも効くから便利じゃないかと(笑)」
――どんなものだったか、覚えていますか?
「当時、新宿の靖国通り沿いにアドホックビルというのがあって、そこに入っていたISEYAというお店で買ったのがポール•スチュアートのダブルブレステッドの金ボタンのブレザーでした。グレーのスラックスとのコーディネートで。結局、婦人画報社の面接はそれに白いボタンダウンシャツ、派手なレジメンタルタイで臨みました。後日談ですが、見事合格だったのは、当時の社長が大の野球好きで、自分の会社の草野球部をなんとか出版社リーグの大会で優勝させたいという思いから、プロを目指していた僕を入れてみようということだったようです(笑)」
Q3.現在スーツは何着お持ちですか
「100着はあるんじゃないですかね」
「6ラックくらいはあると思うんですけど、実態はわかりませんね(笑)。タイプも本当に色々で、今日のようなジャージーのセットアップから丸の内のビジネスマンのようなスーツまで幅広く。仕事柄もあるんですが、案件や相手によって着分けているのでどうしても着数は多くなっちゃいますね」
Q4.スーツはいつ着られますか?
「休日でも、出かけるときはスーツ」
「スーツは仕事だから着るんじゃなくて、好きだから着ているというのが正直なところです。もちろんスーツのタイプにもよりますが、ジャージー素材のようなカジュアルスーツはちょっと出かけるときに便利ですから土日でも着ますね」
――たいていの人はスーツを仕事着だと思っています。しかも最近は着て行く場所もないという声も聞こえてきますが。
「社会通念が変わり、働き方が変わって、スーツを着る機会が減ったというのは事実だと思うんです。結婚式やお葬式でさえ、簡略化されてしまう時代ですから。けれど、スーツを着ていく場所が減ったかというと実はそうでもありません。たとえば高級ホテルや格式高いレストランは、スーツやジャケットを着用していなくても入れるようになってきただけで、本質的にはスーツやジャケットを着用していったほうがいい。それはコミュニケーションであり、気遣いであり、遊びなんですよね」
Q5.仕事とスーツについて
「スーツをきちんと着ることはいまやビジネスにおいての重要なスキルです」
「スーツは世界共通の洋服です。当然、そこにはドレスコードがありますが、そのルールがあるからこそ、例えばどこかの国の大統領も一介のビジネスマンも、思想や伝統を超えて平等に、同じテーブルにつける。服装で差別されることはないわけです。裏を返せばスーツがきちんと着られないということは、せっかくの平等な立場から逸脱しちゃうわけで、それは相当大きな機会損失だと思うんです。だからスーツをきちんと着るということはビジネス上の重要なスキルのひとつと考えていいんじゃないでしょうか」
Q6.スーツのために大切にしていることは何ですか?
「着崩しと着崩れの違いを理解すること」
「まずスーツを格好良く着こなすには、自分を客観的に見ることが大切です。スーツには一定の約束事があり、だからこそ小さな違いから大きな違いまでを着こなす楽しみがあります。先ほども話したように、スーツが面白いのは世界共通の普遍性があるために、それをきちんと守り同調させたスタイル軸と、約束事をあえて飛び越えたファッション軸の2軸があることです。見る人によっては奇天烈やこれ見よがしに映る着こなしも、ファッション軸で考えればありと映るかもしれません」
――つまり、どう見られているかを意識すること、でしょうか?
「ビジネスシーンでは目立つこと以上に、誠実さやきちんとしていることを相手に見てもらうことが優先されますよね。だからスーツをきちんと着ることはビジネススキルのひとつというわけです。そうやって、正しくスーツを着られることを前提として、そこにオケージョンにあわせた“遊び”を加えていくのが、いわゆる着崩しというものです。ところがスーツの着崩しというのはなかなか難しいもので、たいていの場合は“着崩れ”になってしまうことの方が多いものです。100できる人が80のさじ加減で着るのが着崩しです。頑張って着崩そうとしている自分に気がついたら、それは着崩れの予兆。経験値によるさり気なさの演出が大切なんですね(笑)」
Q7.スーツの変化と自身の変化について
「若い頃のスーツを着続けるのはよしたほうがいい」
「スーツは世界共通だと言いましたが、ではずっと変わらないかというと、やっぱり時代とともに少しずつ変化をするし、流行もあります。10年前のスーツといまのスーツではまったく違うと言っても過言ではないと思います。さらに、年齢によって似合うスーツも変わってきますから、若い頃のスーツを着続けるのはよしたほうがいいですね」
――年齢によって似合うスーツが変わるという部分を具体的に聞かせてください。
「たとえばビジネススーツに限れば、若い人が着るようなタイトなスーツを年齢を重ねた大人が着ても似合わないものです。なぜかというと、それは決定的に社会的立場の違いによるものです。体型や感性が若いかどうかの話ではありません。お洒落な人には見えるかもしれませんが、仕事のできる人には見えないのです。重要なジャッジを下す立場をスーツで表すなら、やはりトラディショナルなデザインとサイズ感に抑えているくらいが適当であることは言うまでもありません。ネクタイの選びもそうですが、個性を発揮するのはビジネスの場においてはスーツである必要はないわけで、むしろ色で遊ぶなら、積極的に仕事以外でスーツを楽しむときに試してみてはどうでしょう。着崩しと着崩れの話同様に、100点でスーツを着られる人がTPOを理解したうえで80点で抑えているくらいがスーツ賢者というものです」
Q8.一番好きなスーツのコーディネートについて教えてください
「ネイビーやミドルグレーのスーツをシンプルに」
「ネイビーの梳毛のスーツに白いシャツとソリッドなネイビータイ、それに黒のプレーントウ。そんなシンプルなコーディネートが好きですし、経験値高く、奥行き感を持って着られるようにいたいですね」
Q9.森岡さんにとってスーツとはなんですか?
「もっとも簡単に自分を格好良く演出してくれるもの」
「スーツは長い時間をかけて、男性の体型をよりよく見せてくれるように進化してきたものです。年齢によるサイズ選びの違いや、着崩しのテクニックなどを身につけるにはそれなりの経験が必要ですが、それらに費やした時間とお金は決して無駄にはならないと補償します」
――森岡さんは芸能人やスポーツ選手のスタイリングもされていますが。
「スポーツ選手の身体はある意味特殊なんですよ、サッカー選手の足の太さ、ラグビー選手の首から肩の筋肉など、常人のサイズではないですから。しかもファッションに疎い方も多い。そういう方々をスタイリングして、アドバイスもして、そうして徐々にスタイルアップしていく姿を見るのはスタイリスト冥利に尽きますね」
Q+1.若い世代に対してアドバイスをいただけますか
「モテたいならスーツを着た方がいいです」
「服というのはもっとも簡単に新しい自分を演出してくれる、身近なアイテムです。そう言う意味では服にお金を使うことは実は投資効率の良い行為なんです。僕はファッション講座などでしばしば“服を買って外に出る、見た目が変われば新しい自分も見えてくる、だから変わりたいなら服から”と話していますが、その典型的な例がスーツです。格好良くスーツを着ることができれば、まわりの目は必ず違ってきますから」
写真:藤井由依 編集・文:前田陽一郎